たまには、ぼくらの仕事のレベルを伝えなければいけないと思う。
まじめにブログを描きたいけど、仕事じゃないから、そこに時間を費やすことはできない。
あくまで、趣味でできる範囲でしか書くことはできない。
この無料の情報が、どれだけ意味があるのか、いつも疑問にさえ思っている。
僕は、食べる事が大好きなんだけど、それほどお金は掛かっていない。
それが、仲間が一生懸命、素材を厳選してくれているからだ。
雑誌やTV、様々なメディアで、とりあげられる職人の技。
あれは、僕らからすると、ホント、普通でしかない…
厳選された素材という売り文句で付加価値を乗せる。
それが、こだわるお客様に伝わればいいのだけど、
その行為が、また、ごまかしに使われたり、
お客様が汚客に変わり、価格を値切ったりすると、偽装に繋がったりする。
職人の作業は変らない。
素材はホントに変らない。
海の幸なら、海が主役だ。海に魚は居るし、絶対量は減ろうとも根本的には変わらない。
農作物も全く同じだ。
山や、畑が一番大事だ。
お茶も製品を厳選すると言うけれど、やはり畑と携わる人でお茶が出来上がる。
まあ、そんなもんだろう。
職人の道具と言うモノは、かっこいい。
この刃は、冷凍マグロの品質を確認する際に使う小出刃みたいなものだ。
カチカチの鮪に刺して、脂の度合いを掌の感覚で探る。
皮下の脂。
赤身の状態。
これを3秒で判断する。
お茶もおなじことだ。
熱心なお茶屋は、茶畑に通う。
茶の木の状態を農家と同じように見守っている。
荒茶、仕上げちゃ、その製品から…
工場の蒸す状態を遡り、
茶畑の様子まで思い浮かべる事が出来ること。
それが、『利き茶』というか、『聴き茶』というか…
製品であるお茶から茶畑、大地の状態まで感じる。
こーいうことが、昔の職人にはできていたと思う。
残念な事だが、サラリーマンの人たち。
仕事で、安定した月給をもらう目的で働く人たち。
そのような人達は、きっと魚やお茶の声は聞こえないと僕は思う。
まあ、茶柱が立つくらいの確率で…
そーいった、骨のあるサラリーマンにも出会う事もある。
要するに、人間性の問題だから…笑
どこまでいっても、ヒトとヒトの問題なんだと…
『食』というものは、『人』が『良』と思うモノを摂る行為だ。
だからこそ、『食』に携わる僕たちは、気持ちを大事にしたいと思う。
ちょっとでも良いモノを、お手軽な価格で…
それだけのために『厳選する』という行為を
『普通』に行っているにすぎない。
僕らの『日常』は、多くの人たちの『非日常』なんだなーって最近思う。
だから、僕の食べているものは、何にも特別ではない。
あれが『普通』なんです。
まわりが、ホント、すごいんだから…
じゃ、お仕事いってきまーす♪