如来と明王
僕の文章が攻撃的だと言う人がいます
僕ほど穏やかな人は滅多に居ません
なぜ人は他人に責任にするのでしょうか?
占いと言うものを知ってますか?
当たるも八卦当たらぬも八卦
ようはどうでもいいことなのです
あなたのこころにこの文が届く
どのような形であれ引っかかるとする
ならばこの文章はあなたにとって有意義な文章なのです
攻撃的に感じたのであれば
あなたは何らかの非があったのです
しかしそれを否定したいから他人の責任にする
自分の中で自己を肯定した
そのために他者を攻撃するのです
そのような人が必ずいう言葉があります
みんなもっと考えればいいのに…
こらこら…
考えるのはあなたの方なのです
如来というものは菩薩とは違います
どっちが偉いと言うものではありません
そもそも僕はあまり宗教をしらないのですが…
美術的な観点から仏像などが好きでして
如来と言うものは飾り気がないものなのです
また明王と言うものも好きでして
不動明王なんかたまらないんですね
あそこを怖いと思いますか?
明王とは如来の変形だそうです
おもしろいですね
あなたがどのように受取ろうが
こっちは知ったこちゃありません
わたしはただただ書きつづけるだけなのです
きみの情報のどこがヒントなんだよ
きみみたいに天才じゃないから
突き抜けてもいないしね…
みたいなことを言われました
これは嫌味なのかな?
最初はそのように思いましたが…
そっか…
誉め言葉なんだ
って解りました
要するにいつも読んでます!
そーいうファンの一言だったのですね
ご愛読ありがとうございます
昨日は山に行きました
お地蔵さんが道中見守ってくださりました
平和ですよね
お金が目の前にいっぱいありました
だれも奪う事はしないのですね
これがやさしい環境なんだと…
貴賤
あなたは貴賤とは何かをいま一度考えた方がよいかと…
ぼくはただただ思うのです
(もら はやと)